
昔からある「三つの願い」という話。
「アラジンと魔法のランプ」は小さい頃から知ってるけど、それがいったい何を意味しているのか・・・
つい最近まで解からなかった。
僕は魔法なんて信じないけど、何でも願いを叶えてあげると言われたら何を願うんだろう。
そう考えたら・・・(笑)出てくる出てくる・・
いくらでも叶えて欲しいことがいっぱい浮かんでくる(爆)
ああ、人間というのは「欲望」の中に生きているんだな。
でもそれが「三つ」だけと制限されたら、願いのベスト3は何を思うんだろう。
まるで「悪魔」に魅せられたように、
自分に一番有利な願いを考える。
つまり自分が持っていないものだ。
夏用の服が欲しいとか・・扇風機が欲しいとか・・
たまには高級中華料理が食べたいとか・・イタリア料理でもいい
削除されて見れなくなっている動画が見たいとか・・
二の腕細くしたいとか・・ああ、太ももの方がいいか
久々にガーデニングがしたいとか・・・あ、その前に庭が欲しい
買い物に行った時荷物をたくさん積んでもふらつかない自転車が欲しいとか・・
かと言って補助車付きとか三輪車は却下
多少敏感肌なので鈍感肌になりたいとか・・
まあ、こんな風にいろいろ考えたんだが・・・三つだけとなると・・
一番ポピュラーなのは「お金」だろう。
借金返さなくちゃなんないからなぁ(汗)
次は「家族」かな。
お金があっても一人ぼっちじゃ寂しいものだ。
最後に願うものは・・・・「自由」だと思う。
極端に行動が制限されてきた身だから、そう思うのかもしれない。
だけど・・・僕は魔法に頼らなくても、その願いを叶えるべく生きている。
「お金」はたくさん無いけど、生きていける分は稼いでいる。
「家族」は、僕の身を案じてくれる人たちを「家族」と思えばいい。
そして苦しい立場から抜け出た僕は、ある意味適度な自由を得たと言えるだろう。
考えてみると、最低限の願いは自分で叶えることができているんじゃないかな?
あの話・・・僕はこう考える。
「アラジン」の中にある潜在的な能力が「ジーニー」なんだ。
彼はそれを使って、自分の願いを叶えようと努力した。
でも一番大事だったのは、自分の精神(ジーニー)の自由だったんじゃないかな?
何ものにも囚われない強い精神を手に入れたら、どんな富も名誉もあまり意味を成さない。
心の自由こそが、人が生きていく時に一番必要なものだと思う。
最後の願いが三番目というのは、きっとその強い精神を手に入れるのが三年掛かるってことじゃないだろうか。
「石の上にも三年」って言うし・・・。
いや、僕の勝手な解釈だけどね(汗)
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